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どうにもこうにもな日々の備忘録

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どんな立場の人であろうといつかはこの世におさらばをする

 
いわんや犬をや動物をや。

職場の事務長には大事にしている愛犬がいて、毎日朝4時に起きては一緒に散歩に行き、愛犬との日常をFacebookに大量にアップするのが日課でした。
あまりの溺愛ぶりに、私は常日頃冗談で「事務長の愛犬がいなくなったら、事務長はペットロスでもう絶対仕事にならないよね」と言っていました。
愛犬は病院のお祭りのマスコットになったこともあり、職場全体で愛されていました。
その愛犬が今週亡くなりました。
事務長は「亡くなった」ではなく「M78星雲に帰ってゆきました」と冗談交じりに愛犬の死をFacebookに記していました。
その後はいつもの朝4時に起き、かつて愛犬と歩いた散歩道を一人で歩く写真の日々。切ないにもほどがあります。

事務長の愛犬の死は、否が応でも我が家の愛猫の死の予感を意識させます。
同じ年頃のよその子だって星になるんだもの。うちの子だっていつかその日が来る。
だからこそ毎日を大事に過ごして行かないといけない。
「死」を意識すると、「生」を鮮明に知らされます。

病院職員として毎日毎日人の「死」を見てきて、事務長も事務職員も、思えばいつも「生」を鮮明に感じているのです。
「死」に慣れることはありません。それはたかだかカルテ上、書類上の関わりであっても事務長も事務職員も同じです。
「死」を見れば見るほど、私はいつか自分にもその日が来る、いつか家族にはその日が来る、と思い知らされ、正直将来が怖いです。
木皿泉の『セクシーボイスアンドロボ』の台詞に、看護師だからと言って「死」に慣れることはないという言葉があります。
普段世間の人が意識しない「生」を嫌というほど思い知らされる病院という職場は特殊すぎて、どうにもならない気持ちを受け止めてくれる木皿泉の言葉は、だから心地よいのだと思います。

「看護師だから人が死ぬなんて慣れてると思ってるけど慣れてないの」
「なんであたしたちだけで死に立ち会わなきゃならないの?
死ぬなんて何もないように暮らせるの?
無視して暮らしている人が許せないの
何一つ変わらない世の中が許せない」

思えば木皿泉のドラマには全て病院が出てきたように思います。
「始まりがあれば終わりがある」「人は変わっていく」「同じ日は二度と来ない」というメッセージを常に発信してきた木皿泉のドラマと病院とは親和性が高いのでしょう。
そんな病院で「命をお金に換算している」医事課という世界を、木皿泉が描いたらきっと面白いのになあというのが最近の私の妄想です。

ひとまず今更だが『昨夜のカレー、今日のパン』が観たい。読みたい。
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